少年は死になさい…美しく第26回

恭介は左胸に耳を当て、次に鼻先に手の甲を近づけた。
 佳澄は人事不省になっていた。
 個人差にもよるが、二時間くらい経過した頃に首や顎から死後硬直が始まるので急がなければならない。
 半日も経てば、死後硬直は全身に広がる。
 死後硬直だけでなく、血流が止まるので下になった静脈に血液が溜り死斑が出現する。
 死後二、三十分で点状の斑点が出現し、二、三時間後に斑点が融合し、二十時間以上経過すると死斑が固定してしまう。
 恭介は、尿道、膣、Gスポット、子宮、子宮頸、円蓋、卵管、卵巣にメスを入れ、胎盤鉗子で何度かにわけて切断した肉塊を引っ張り出した。
 破れた膀胱から溢れ出した尿のアンモニア臭が、マスク越しに鼻孔を刺激した。
「ハンドクリーナー」
 中森が差し出したハンドクリーナのノズルを腹腔に突っ込み、血液交じりの尿と肉片を吸い込んだ。
「ダスト交換」
 ハンドクリーナーを中森に渡し、恭介は腹腔の奥に両手を突っ込んだ。
 息を止め、直腸をメスで切断した。
 茶褐色の糞便が、腹腔内に飛散した。
 息を止めたまま、胎盤鉗子で肉塊と化した直腸を引っ張り出した。
 我慢できずに呼吸した途端に、強烈な異臭に恭介の胃は伸縮し、立て続けにえずいた。
 電動ノコギリで、骨盤を切断した。
 金槌で砕き、ハンドクリーナーで骨片を吸い取った。
 その作業を繰り返し、完全に骨盤を除去した。
 佳澄のM字に折り曲げた両脚の奥には、漆黒の空洞が開いていた。
 これならば、鬼畜も聖母の母体に戻れるだろう。
「蛇口にホースがついているから......水を出して持ってこい」
 えずきながら恭介が命じると、中森が流し台に走った。
 中森からホースを受け取った恭介は、腹腔に水を注いだ。
 腹腔から溢れ出す赤褐色の水が透明になるまで、恭介は放水を続けた。
「止めろ」
 恭介は中森にホースを渡し、アルコールティッシュで佳澄の腹部や太腿に付着する血や糞尿を丁寧に拭った。
 佳澄の身体を綺麗にすると、恭介は部屋の隅からキャスター付きのステンレステーブルを運び中央に置いた。
 縦三メートル五十センチ、横一メートル五十センチ――恭介が、この日のために数年前に自らが制作した特別仕様のテーブルだった。
 テーブルは微かに傾斜しており、コーナーには血や体液が溜らないように排水口を作っていた。
 排水口の下には、流れ出た血と体液を溜める二リットルの容量のプラスティック容器を取りつけていた。
 佳澄の拘束を解き、抱え上げてステンレステーブルに移した――仰向けに寝かせ、両足をM字に立てた。
「いよいよですね!」
 中森が、充血した眼を輝かせ唾を飛ばしながら言った。
「カメラをセットしろ」
「了解です!」
 声を弾ませ、中森が三脚にスマートフォンを設置した。
 罪悪感の海に溺れ、凄惨な現場に嘔吐していた以前の彼と同じ人間とは思えなかった。
「まだ、回すなよ」
 恭介は言いながら、用意していたメイクボックスを佳澄のもとに運んだ。
 櫛で髪を梳かし、ファンデーションを施し、アイブロウとアイラインを引いた。
 最後に、ルージュを塗った。
 佳澄は、眠りについているようだった。
 死んでいるイメージを与えないために、ピンクのチークで頬をうっすらと染めた。
 メイクを済ませると、恭介は篠原の屍を抱え上げステンレステーブルに運び佳澄の足もとにうつ伏せに寝かせた。
 背中には、うっすらと死斑が出現していた。
 恭介は、スマートフォンのデジタル時計に眼をやった。
 創作を始めて、二時間が過ぎていた。
 篠原が死んでからまだ一時間程度なので、死斑は固定しておらず色素も薄いが見栄えが悪かった。
「カメラセット完了です! 早くこのくそ野郎のとんがり頭を、まんこに突っ込みましょうよ!」
 リピートされる「アヴェ・マリア」の美しい歌声に、嬉々とした表情で言う中森の興奮にうわずった声が割り込んだ。 
 恭介は無視して、篠原の背中にファンデーションを塗り死斑を隠した。
「ねえ、まだ......」
「静かにしろ。耳障りだ」
 恭介は冷え冷えとした声で言うと、眼を閉じた。
 
 アヴェ・マリア! 汚れのない女よ
 私たちがこの岩盤の上に眠りのために倒れるとき
 そして貴女の保護で私たちを覆いくださっているときは
 私たちには固い岩盤も柔らかく思われるのです

 貴女が微笑むと この岩盤の隙間に薔薇の香りがそよぎます
 おぉ聖母よ この子の嘆願を聞いてください
 おぉ乙女よ 一人の生娘は呼んでいます!
 アヴェ・マリア!
 
 恭介は、聖母の声に耳を傾けた。
 鬼畜も天使も分け隔てなく受け入れるマリアの慈愛のなんと美しいことか。
 室内に流れる優美な旋律に、恭介は感性を委ねた。
 
 この固く荒々しい岩壁の中から
 私の祈りが貴女のもとへ届きますように
 私たちは朝まで安らかに眠ります
 たとえ人々がどんなに残忍であっても
 おぉ乙女よ 
 この生娘の心配事を見てください
 おぉ聖母よ 
 一人の懇願する子を聞いてください
 アヴェ・マリア!
 
 恭介は、眼を開けた。
 生まれたばかりの赤子をそうするように、鬼畜をうつ伏せのまま抱え上げた。
 そっと、聖母の入り口に鬼畜の頭部を近づけた。
 ふたたび眼を閉じ、深呼吸を繰り返した。
 この瞬間を、どれだけ待ち望んできたことか......この瞬間のために、生きてきたと言っても過言ではなかった。
 心を静め、恭介はゆっくりと眼を開けた。
 五十センチ、四十センチ、三十センチ......鬼畜の頭部が聖母の入り口に近づいてゆく。
 初恋の少女を前にした思春期の少年のように......入試の合格発表で自分の番号を探す受験生のように鼓動が高鳴った。
 二十センチ、十センチ、五センチ......。
 ついに訪れる至福の瞬間に、恭介の分身は痛いほどに怒張していた。
 期待と不安が恭介の心を綱引きした。
 期待――後世に残る名作の誕生に。
 不安――期待以下の作品の誕生に。
 三センチ、二センチ、一センチ......鬼畜の側頭部を削り取った鋭角な頭はすんなりと、三角筋を切断した両肩もギリギリで入った。
 仰向けに寝る聖母のM字開脚した股間の奥の空洞に、うつ伏せの姿勢で肩まで突っ込んだ鬼畜。
 慈愛に満ちた安らかな寝顔で鬼畜を受け入れる聖母......感動が全身に鳥肌を立てた。
 恭介は三脚に駆け寄り、ゴーグルとマスクを外しムービー機能になっているスマートフォンを覗いた。
 ズームアップした。
「ああ......」
 あまりの崇高なる光景に、恭介は思わず声を漏らした。
「罪人よ、聖なる母のもとへ帰りなさい。罪人よ、あなたの悪業を赦しましょう。罪人よ、聖なる母のもとへ帰りなさい。罪人よ、赦しは愛であり愛は神であり神は赦しなのですから。罪人よ、聖なる母のもとへ帰りなさい。罪人よ、あなたは悪を演じていたに過ぎません。罪人よ、聖なる母のもとへ帰りなさい。罪人よ、あなたは思い出すでしょう。あなたが偉大なる父と聖なる母の愛の結晶であることを」
「聖母と鬼畜」のために用意していた詩を、恭介は口にした。
 二十三年間、自分を追い求め続けてくれた彼を失望させないために、心を込めたメッセージだった。

 善も悪もない。
 あるのは、無だけ。
 我々が善と呼ぶものも悪と呼ぶものも、無が創り出した幻に過ぎない。
 我々は神に縋り、悪を恐れた。
 神も悪も無が創り出した幻影とも知らずに。
 我々、と認識している存在自体も幻影とも知らずに。
 
 不意に、甘美な電流が陰茎に走った。
「うっ......」
 恭介は、眼を閉じた。
 強烈なオルガスムスとともに、陰茎が脈打ち生温い液体を放出した。
「はぅっ......」
 自分のものとは違う呻き声がした。
 眼を開けた。 
 カメラの死角になる位置で、中森がズボンとトランクスを脛まで下ろし「聖母と鬼畜」を見ながら右手で激しく陰茎を扱いていた。
 スマートフォンのムービーを切り、恭介は電動ノコギリを手に中森のもとに向かった。
 中森の髪の毛を鷲掴みにし、スイッチを入れた電動ノコギリの唸りを上げて前後する刃を喉もとに近づけた。 
「な......なにを......するん......ですか......」
 蒼褪めた顔で、中森が言った。
 猛々しく脈打っていた陰茎は、干乾びた芋虫のように萎んでいた。
「私の作品を冒涜する気か?」
 恭介は一片の情もない瞳で中森を見据えた。
「え......で、でも......」
 中森の凍てついた視線が、恭介の膨らんだ股間に移った。
「芸術作品にたいして陶酔する私と君の下種な性欲を一緒にするな。私の作品を汚す者には、生きていてほしくない」
 恭介は言いながら、前後する刃を中森の喉にさらに近づけた。
「す、すみません! も、もう......もうしませんから、許してください!」
 悲鳴を上げる中森の陰毛に埋もれた性器から、尿が滴り落ちていた。
「君の働きに免じて、今回だけは見なかったことにするよ。これから、作品を届けに行かなければならない。大きな段ボール箱を五箱くらいと台車、それにレンタカーでバンを借りてきてくれ」
「え? 運ぶって......どこに、ですか?」
 安堵の表情を浮かべた中森が、訝しげに訊ねてきた。
「最愛の妻の最高に美しい姿を、見て貰わなくてどうする?」
 恭介が言うと、中森の口角が吊り上がった。
 鼓動の高鳴りを、抑えきれなかった。
 恭介は眼を閉じ、「聖母と鬼畜」と対面した名倉の驚きの表情に思いを馳せた。

少年は死になさい…美しく

画・伊神裕貴

Synopsisあらすじ

妊娠中の妻と2歳の娘を少年たちに陵辱の末惨殺された恭介は、犯人の少年たちを切り刻み死体を家に送りつけた。それは復讐ではなかった。妻子の殺され方が美(・)し(・)く(・)な(・)い(・)ことへの憤りだった。恭介にとって死体は「芸術品」であるべきなのだ。23年前、キスした姿の少年と少女の生首がで被害者宅に届けられる事件があった。事件は迷宮入りし、警視庁の名倉警部は今でもその屈辱を胸に抱いているが、その犯人こそ当時中学生の恭介であった。

Profile著者紹介

しんどう・ふゆき

大阪生まれ。金融会社勤務、コンサルタント業を経て、1998年「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞し作家デビュー。以後エンターテインメント小説を縦横に執筆する。著書に小社から『血』(単行本)『ミッション』『たったひとつの花だから』(いずれも中公文庫)がある。他に『カリスマ』『無間地獄』『忘れ雪』『私立歌舞伎町学園』『制裁女』『紙のピアノ』など多数。

芸能プロダクション「新堂プロ」の社長も務める。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー