もぐら新章4第二回

序 章(続き)

 芦田は怯みそうになった。リナが不安そうに芦田を見やる。
 芦田はリナの視線を感じて奮起し、市島を下から睨み上げた。
「僕はただ、リナちゃんと一緒にいたいだけだ。そもそも、リナちゃんは君たちの所有物じゃないだろう」
 リナを強く抱きしめる。
 リナも応えるように抱き返した。
「いいねえ、恋する男女は。嫌いじゃないけどさ、そういうの」
 市島はいきなり、リナの顔面に右膝を蹴り入れた。
 リナの顔が撥ね上がった。鼻先が曲がって血が噴き出る。リナの上体がぐらついた。
「何するんだ!」
 仰け反りそうになったリナを抱き寄せる。
「その鼻、見てみろよ。ひん曲がってるだろ? 整形鼻の典型だ」
 市島が笑う。
 芦田はリナの頭を抱えて、強く抱いた。
「その女、目もいじってるし、顎も削ってる。あんま、力入れて抱くと、顔全体が歪んじまうぞ?」
 市島が言うと、壁の男女も笑い声を立てた。
「ついでに、その乳も豊胸だし、腹も脂肪吸引してる。サイボーグだぞ、そいつ」
 市島の言葉に、さらなる笑い声が立つ。
 リナは芦田の胸に顔を押し付けた。肩を震わせ泣いている。
 芦田も、リナが全身整形していることには気づいていた。しかし、気にしたことはなかった。
 システムエンジニアを務めている芦田は半年前、長期出張で来島した。ある企業のシステム開発と構築のためだ。
 沖縄も新型コロナウイルスの蔓延で緊急事態宣言が発出され、しばらくは、職場と短期契約しているマンションを往復するだけの毎日だった。
 三カ月前、芦田は同僚のマンションで二人、打ち合わせがてらの食事をしていた。
 その時、酔って高揚した同僚が、女を呼ぼうと言い出した。
 芦田は風俗で遊んだことはなかった。どちらかといえば、少し汚らしい感じがして、嫌いだった。
 ただ、南国リゾートに来て三カ月、遊びらしい遊びもなく、ひたすら現場に詰めて、モニターと睨み合う毎日に、同僚同様ストレスは溜まっていた。
 そして、勢い、同僚の誘いに乗った。
 そこに現われたのが、リナだった。芦田はその容姿と、どこか儚げな翳(かげ)をまとったリナの雰囲気にひと目で胸を打ち抜かれた。
 もう一人、ヒヨリという源氏名の女の子が来た。ヒヨリは小柄で肉感的な女の子だったが、同僚の好みだった。
 必然、芦田の相手はリナになった。
 デリバリーヘルスは本来、手や口で性的サービスをするだけ。しかし、コロナ禍で客が少ないせいもあってか、金を積めば本番もOKだという。
 もちろん、売春行為は違法だ。が、デリヘル嬢が勝手にやったこと、恋愛感情が芽生えて行為に及んだなど、いくらでも言い逃れる術はある。
 同僚は寝室にヒヨリを連れ込み、さっそく行為を始めた。まもなく、派手な喘ぎ声が聞こえてきた。何をしているのか、見なくてもわかるほどだった。
 芦田は同僚のワークルームにリナと入った。
 リナは何も言わず、服を脱ぎ始めた。
 ほっそりとした体に不釣り合いな大きな乳房。白すぎる肌には血管が浮き上がり、くびれた腰は抱きしめただけで折れそうだ。
 裸になったリナは、椅子に座る芦田の前に跪(ひざまず)いた。スラックスのベルトに手を伸ばす。
 一度は拒否するそぶりを見せた芦田も、情欲の昂ぶりに勝てず、そのままリナの手と口に自身を預けた。
 得も言われぬ快感とほんのりくすぶる罪悪感に、全身の骨が抜かれそうだった。
 リナから、追加料金で本番ができると持ち掛けられたが、芦田は断わった。
 その日、リナは一時間半ほどで仕事を終え、ヒヨリと共に同僚のマンションを去った。
 余韻に浸りながら同僚と飲み明かしていた時、芦田はあることを知った。
 彼女たちの実入りの多くは、追加料金分だという。何もしなくても、追加料金を払ってあげた方が、彼女たちの助けになるそうだ。
 芦田はリナに申し訳ないことをしたと悔やみ、同僚からデリヘルの番号を聞いて、翌日、自分のマンションにリナを呼び寄せた。
 性的サービスは受けず、ずっと服を着たまま話し、追加の料金も払った。
 リナは申し訳なさそうだったが、帰り際に微笑んで、キスをくれた。
 それが、芦田の心に火を点けた。
 芦田はその日からほぼ毎日、リナを呼んだ。少しずつ自分のことを話してくれて、笑顔を見せてくれるリナに、どんどん惹かれていった。
 芦田はリナの出勤から退勤までの時間すべてを買うこともあった。朝までとなると、一晩で数十万飛ぶこともあった。
 それでも芦田はリナに会いたくて、また、リナを他の男に触れさせたくなくて、貯金を切り崩してまで、リナを呼び続けた。
 通常、店側は行き過ぎた常連客は忌避する。多くはトラブルの元となるからだ。
 が、コロナ禍の今、客は少ない。芦田のように入れ込む客は女の子にとって危険だとわかっていながら、店側は黙認していた。
 芦田もそのことは理解していた。
 リナとは所詮、デリヘル嬢と客という立場。金がなくなれば、彼女と会うこともなくなるのだろう。
 しかし、自分の懐事情が許す限りは、リナと過ごしたい。
 それがうたかたの夢であろうとも──。
 だが、二週間前、芦田の胸を大きく揺さぶる出来事が起こった。
 その日、仕事場から戻ってくると、デリヘルに連絡を入れていないにもかかわらず、リナが部屋の前で待っていた。
 オフ日、プライベートで会いに来たという。
 部屋に通して話を聞くと、大金を払わせているのにいつも話してばかりで申し訳ないから抱いてほしいと言ってきた。
 それだけなら、芦田も笑って流せた。
 だが、そのあと、リナは続けた。
 自分のような者に、こんなに誠実に接してくれた人は初めて。もっと早く、芦田さんと出会っていればよかった、と。
 芦田は想いを止められなくなった。
 朝までリナを貪っても足りず、次の日は無断欠勤をして、一日中、リナを抱いた。
 リナも芦田に応えた。
 夢のような時を過ごした芦田は、リナに想いを告げた。
 結婚したい。一緒に暮らしたい。
 さすがにリナも戸惑ったようだったが、連日の猛アタックに負け、首を縦に振った。
 問題は、リナが勤める店だった。
 リナは店に借金があり、それを返し終えるまでは自由を拘束されているという。
 店のオーナーは市島すいという者で、細身でポップカルチャーを歌うミュージシャンのような雰囲気の男だが、その実、松山を牛耳っている半グレ組織のリーダーだという。
 まともな話し合いは難しいと感じた芦田は、ともかく島を出ようと提案した。
 東京に戻って、弁護士を立てて話し合えば、それなりにカタはつくだろう。そう踏んでいた。
 とにもかくにも、無事に島を出ることが重要だった。
 芦田はいつもと変わらない様子でリナを家に呼び、何度も話し合いを重ね、綿密な計画を立てた。
 そして、遂行の日を迎えていたのだが......。

(続く)

もぐら新章4

Synopsisあらすじ

最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄や東京の暴力団組織との戦闘を乗り越えてきた竜星。親友の安達真昌とともに切磋琢磨しながら、将来を模索していたが、高校卒業を目前に繰り広げられた死闘によって傷を負った。(もぐら新章『血脈』『波濤』『青嵐』)
傷からの回復に専念しつつ、竜星は大学進学を、真昌は警察官試験の受験を一年延期し、自らの進む道を改めて見つめ直すことにしたが……

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が120万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。

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