持続可能な魂の利用第17話

 わたしの声は届くのだろうか。
 そんな風に心配していた自分のことがおかしくなるくらい、わたしの声は届いた。
 声、というか、わたし自身が、届いた。
 自分が一番驚くほどに、わたしは届いた。
 アイドルとしてこの世界に知られた瞬間から、わたしは届き続けている。

 ××が、××になった瞬間を、わたしたちは考察します。
 ××は日本のアイドルグループの一員であり、〝センター〟という役割を担っていました。このポジションは、主にグループの顔であることを意味します。
 わたしたちは××のアーカイブにできる限りあたり、ほかのアイドルグループとも比較しましたが、アイドルとしての××は確かに〝センター〟として異質で、飛び抜けた存在だったと考えられます。十代の女の子が、ここまでの表現力を持ち得たことには驚きしかありません。××はすごいです。研究発表の題材としてだけでなく、わたしたちは気づけば××のパフォーマンスを繰り返し再生し、歌詞を覚えて一緒に歌ったり、ダンスの真似をし合ったりしました。
 ××が所属するグループ体系は、もともとは〝未熟さ〟を魅力として、大量の女の子を世に売り出しました。〝未熟さ〟が熱狂的に受け入れられたということは、この頃の日本では、〝未熟さ〟を魅力として考える人が多かったからだろうと推察できます。
 記録によると、事前に十分なトレーニングを受けることのないまま女の子たちはアイドルになりました。そのほうがファンに喜ばれたのです。ファンはスキルのない、まっさらの女の子たちのほうが応援しがいがあると思ったそうです。
 ところが、女の子はいつまでも〝未熟〟のままではいられません。
 スキルが不十分のままデビューしたはずの彼女たちは、だからこそ必死で練習し、吸収し、上達していきました。その軌跡は、わたしたちが見ても、見事なものです。きっと大人たちが思うほど、彼女たち自身は〝未熟〟であることに興味がなかったのでしょう。それに、その時々の精一杯を〝未熟〟と部外者に、たかだか先に生きていたり、何かをはじめたのがはやかっただけだったりする人々に評価されることほど、理不尽なこともありません。本来、人間に〝未熟〟な時など存在しないはずなのです。
 話が少しずれましたが、しかし、そうやって女の子たちが成長してしまうと、大人たちは彼女たちの〝未熟さ〟を売りにすることはできません。アイドルグループを運営する立場の人々は、新たに女の子を募集し、各地に新たなグループをつくり、〝未熟さ〟のシステムを長持ちさせようとしました。既存のグループにも〝研究生〟という立場をつくり、フレッシュさを担保しようと試みました。
 しばらくはこのやり方でうまくいき、息継ぎの暇もないほど次々とアイドルの女の子が輩出されていきました。類似のシステムを採用し、女の子を商売に利用する大人がほかにも後を絶たなかったので、かつてないほどのアイドル、そしてアイドルグループがこの世に乱立する事態になりました。その様子は、自分がアイドルだと宣言さえすれば、アイドルになれるのではないかと思うほどです。
 けれど、十年以上が経過し、このシステムに限界が見えはじめました。一度つくられたシステムは、経験を経て、たとえ本人たちにその意図がなかったとしても、更新されていきます。十年以上前の、女の子たちが〝未熟〟ならば、運営する側の大人たちも手探りで〝未熟〟だったことにより相乗効果で演出されていた総合的に〝未熟〟な雰囲気は、はるか過去のことになりました。良くも悪くも手慣れて、洗練されてしまったのです。アイドルに応募する女の子たちも、小さな頃からこのアイドル体系を目にして育っており、システムを理解しています。
 それに、その頃になると、アイドルになる夢を持っていなくとも、習い事として、バレエやジャズ、ストリートダンスなど、様々な種類のダンスやパフォーマンスの教室に通う子は珍しくもなんともなくなりました。みんな何かしら習得していて、本当に何も経験したことのない子のほうがめずらしかったでしょう。(そのはるか以前には、女の子は花嫁修業として、茶道やお琴をたしなんだそうです)。
 インターネットの普及も、一般の人々がダンスや歌に挑戦することを後押ししました。そして、テレビに出ていなくても才能のある人はたくさんいる、という事実が周知のものになりました。大人がいうところの、〝未熟〟で〝まっさら〟な女の子自体が少なくなりました。
 そんななかで、××たちは登場しました。違いは明らかでした。もともと〝未熟〟ではない能力を持った女の子たちを、〝未熟〟の枠に押し込めるのは、いくらなんでも不可能です。なにしろ、この社会は、つくりものよりも、〝天然〟を好みました。さすがに方向転換が必要になりました。
 能力を持った子が集まっていて、アイドルには不向きである。ならば、アイドルとして、異端の集団をつくりあげればいい。
 元々、そのアイドル体系に属していた女の子たちは、大きな笑顔を顔に張り付かせ、短いスカートの制服を着て、見る物に威圧感を与えない、思わず応援してあげたくなるような歌とダンスを披露し、曲によっては水着や下着のような衣装を身につけていました。わたしたちが見る限りでは、その姿も悪いものとは思いませんでした。彼女たちは堂々としてとても輝いていますし、ステージを降りたところでの彼女たちの振る舞いは、求められている日本の女の子の規範を逸脱する元気さで、アーカイブを参照していたわたしたちは思わず何度も笑ってしまいました。
 彼女たちには、社会に求められたものを求められた通りに差し出すことのできる器用さがあったのでしょう。空気を読む、という表現もあります。ただ、当時の社会を鑑みると、社会が求めるものをそっくりそのまま提示することは、同時に、社会と同化することを意味します。
 ××たちには、その逆のスタイルが採用されました。笑わず、制服と軍服の中間を意識してつくられた衣装。反抗的な歌詞に難易度の高いダンス。そのすべては従来のアイドルに見慣れた目には新鮮に映り、彼女たちはまたたくまに人気を博しました。
 そのなかでも、××は異端の存在でした。××がいたから、××たちのグループの方向性が決まったようにも考えられます。
 とはいえ、最初の頃の、パフォーマンスをしていない時の彼女たちは、××も含め、小さな声で恥ずかしそうに話す、普通の女の子に見えます。××は特にギャップが大きく、口に手をあてて照れたように下を向いたり、テレビ番組が求めるようにリアクションしたりしてみせる彼女は、結局のところ、うまくアイドルとしてやっていけそうでした。××たちは、発表する曲が次々とヒットし、はじめてのアルバムも好評で、夏には念願のはじめての野外ライブを富士山が遠くに見える大きな会場で開催しました。
 この時の××は、〝異端のアイドル〟としても、とてもバランスがとれています。ほかのメンバーたちとともにかわいい曲とかっこいい曲を両方こなしてみせ、観客に対しても熱のこもった調子で呼びかけ自分の思いを伝え、ステージの裏でも楽しそうにはしゃいでいます。
 ライブ当日までの練習風景を見ると、××たちがいかに熱心に、一丸となって練習に取り組んでいるかよくわかります。旗をふるなど、自分たちが新たに習得することになる演出に対して「かっこいい!」と声をあげ、大きなステージを臆することなく駆け抜ける彼女たちの姿は、やりたくないことをやらされている姿ではありません。きっとついていけなかった女の子もいたでしょうが、アイドルとして異形を求められた彼女たちは、異形であることを楽しんでいました。
 わたしたちが面白く感じたのは、時に彼女たちは、おのおの自由に振り付けしていいと部分的にダンスパートを任せられるのですが、その場合、ダンスがだいたいどれもかっこよくなることでした。かわいいとかっこいい、両方できるはずの彼女たちは、自由に選択していい時、かっこいいほうを選びました。それはとても興味深い事実でした。
 彼女たちのダンスは、かわいいとこちらが思った瞬間かっこよくなっている、まるでだまし絵のようです。
 ライブ中、ひたすら団体で動き続ける彼女たちにはアイドルというより、運動部と呼ぶほうがしっくりくる瞬間が幾度もあります。でも、彼女たちはれっきとしたアイドルでした。
 それから一年経つと、××の様子に変化が見えます。無防備な屈託のなさは消え、自制と自衛の意思が感じられます。その変化はメンバーたちに向けられるのではなく、彼女たちを見る側に向けられているようです。××は明らかに何かを拒否しはじめていました。
 ××は見られることに居心地の悪さを覚えているのか、パフォーマンスをしている時以外は、ステージの上でも下を向くようになりました。時には、パフォーマンス中でも下を向いています。異形のアイドルといっても、その様子はさすがに異様で、人々の目を引きました。様々な憶測が交わされ、プロ意識がないと××を批判する声もありました。けれど、アイドルがこちらが思う〝正解〟からはみ出した途端批判するのは、結局のところ、××たちに笑顔を求めているのと同じことです。アイドルが笑顔にならないのが新しいと褒めていたとしても、それは予定調和の範囲内のこと。でも、××は映像に映されていても、ステージの上にいても、予定調和を無視するようになりました。さっきわたしたちは自制と自衛の意思と言いましたが、××の本心はわかりません。アイドルの〝正解〟に照らし合わせた時、〝不正解〟の彼女の行動に何か意味付けをしているだけです。よく考えてみれば、××は笑いたい時に笑い、笑いたくない時には笑わない、という当たり前のことを、観客の前でやるようになっただけなのかもしれません。つまり、××は本当に、異形のものになりました。
 この後の歴史における××のはじまりを、わたしたちはここに見ます。この時が、××の分岐点となりました。
 ここで発表者を交代します。

持続可能な魂の利用

写真:岩倉しおり

Synopsisあらすじ

ある日、カナダから帰ってきた敬子は気づいてしまった。日本の女の子たちが〝最弱な生き物〟であることに――!「アンデル 小さな文芸誌」にて連載された、松田青子による「持続可能な魂の利用」がWebBOCにお引っ越し&再スタート。日本にはびこる悪しき因習に切り込み、世界を呼吸のしやすい場所にする。人生を楽しくパワフルに変身させる物語の誕生です。

Profile著者紹介

松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』(以上、河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)、翻訳書に『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』(以上、カレン・ラッセル/河出書房新社)、『AM/PM』(アメリア・グレイ/河出書房新社)『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング/河出書房新社)、エッセイ集に『読めよ、さらば憂いなし』(河出書房新社)、『ロマンティックあげない』(新潮社)などがある。

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